2018年 06月 08日
木曜のディケア。
だが、やはり、想定内とはいえ、入浴もシャワー浴もしないで帰ってきた(;´д`)
ギボが我が家にやってきて、10年を越えた。正確には、何年になったのか、その頃の記憶が曖昧だ。
私にとって、記憶を消したいほどの出来事があり、それとほぼ同時にギボの介護問題が発生した。
離婚に向けて、私は闇雲に大学院を受験し入学を許可されたその大学病院でギボが手術を受けた。術後のほんの短期間だけというつもりで我が家に受け入れた。
ミッチリするまで、おいでくなんしょ、と言われて。
いつになったらミッチリ(しっかりと)するのだろうと思って二年ほど過ぎた頃、あの震災があり、ギボの帰るべき家は、実質的に住めない状態となった。
それから、自分でもどこを目指して進んでいるの分からないままに、目の前に提示された課題をクリアしながらここまできた。
困っている人の役に立たせていただく仕事にありつけて、視野が拡がったのは確かだ。私の悩みなんてとるに足らないことだ。
まず、夫があの時、ひたすらに私に謝罪し、私との関係を修復するために全力を尽くしてくれたことに、感謝する気持ちがわいてきた。
でも、そんな気持ちになる前にギボを迎えたので、これまで、ギボのシャワー浴は夫の担当だった。加えて、金銭管理も。嫁の私は、それ以外のほとんどを担っているので、あえて、その二つには口を出さないできた。
しかし、夫も還暦を過ぎ、仕事で疲れて帰ってきてからのシャワー浴の介助は辛そうだった。
そこで、ようやくの午後までのデイケアサービスなのだが、本人が拒否したのでは、なんの意味もない。
明日から、夫は3日ほど留守になる。昨日のディケアでシャワー浴を済ませてくれていれば良かったのだが。本人に聞けば、今日、なんとしてもシャワーを浴びたいということで、疲れて帰宅した夫が先ほど介助した。
嫁は、なし崩しの先の見えない同居にいろいろと言いたいことはあったのだが、少なくとも、入浴については嫁の出番がないことに救いを感じる。
入浴も嫁が担当したら、きっと私のことだもの、金銭管理にも口をだしたくなる。知らなくて良いことは知らないままで良い。
と、いうことは、カワハギ ⬇ の前に、ギボのことでは、夫と私の担当にちゃんと線引きができていた。
と、いうことは、離婚を真剣に考えたことは、私の人生に多いにプラスになっていた。大学院に行ったことも、専門職につけたことも、夫が私をどんな大切に思っているかをしることができたことも。
あのことがなければ、世間知らずな勘違いな、嫌な女のままだった。
息子たちも、このダメな母に、次々と生まれ変わるチャンスを与えてくれた。
今までのことは、すべてありがたい出来事だったのだなぁ。
と、いうことは、ギボの介護も私のこれからの人生に必要なことなのだろう。良い経験だったと、思える日が来ることを期待する。
by sakura-saku-tiru
| 2018-06-08 20:18