2016年 02月 09日
不全といえば。
わが息子が卒業した、北星余市高校。
卒業生たちが、在校時を振り返って、あれこれ書いている本がある。
わが息子は、冒頭で、
機能不全家庭に育った僕は、
と、書いている。
機能不全家庭。
そうね、そうだったね。未熟な親だった。
こんな私がいま、悩める親子を支援する側にいる。
みんな未熟な親なんだよ。
開き直るつもりはないけどね。
かつての自分のようなお母さん方に対峙するのは正直言ってツライ。けど、これが私にできる一番の償いではないかと思う。
機能不全家庭。
では、家庭の機能とはなにか?
安心して自分らしくいられる場所かな?
土曜日に、前から学びたいと思っていたブリーフセラピーの基礎講座を受講してきた。
体調が良い日で良かった。
その講座での収穫。
家族療法では、誰のどこが悪いかを探すのではなくて、家族のシステムの問題として考える。
何か、うまくいった時のことを探しだして、その時のシステムを強化する。悪いシステムを排斥するのではなく。原因探しをしたり、誰がを変えようとしないで。
これ、いいよね。
なんだか、肩から無駄な力が抜けていくように思った。
過去を悔やまない訳ではないが、過去に拘って前に進めないのは勿体ないことだ。
息子よ、すまなかった。
いくらあやまっても、過去は変えられないし、あなたの心の傷を消すことはできないだろう。
不全だったかもしれないが、あの過去から母さんはたくさんのことを学んだよ。父さんも変わった。
機能回復しつつあると思うのだが、君にはまだそう思ってはもらえないだろうか。
人様の支援をしながら、いつも心に思うことは、我が家のこと。自分の問題も未解決なのに、人様の支援をする。
同じ痛みを共感できるのは、強み。
大きな問題を抱えた人には、私の痛みなどなんとチッポケなものか、と、相手の痛みを想像する。
うんと未熟な大人には、大丈夫、人は一生成長できるから、と、自分に向かっても言う。
自分の心が不全から回復している。
死にたいと思う気持ちが消えている。
いま、自分らしく生きているんだとおもう。
これは、本当にありがたいことなのだ。
by sakura-saku-tiru
| 2016-02-09 09:25